2013年8月24日土曜日

USS OREGON の絵葉書

あるサイト(ブログ?)で、オレゴンの模型を作ろうとされている方がいらっしゃいました。あの時代の艦船の模型が好きな方々の参考になればと思い、USS OREGONの絵葉書を貼っておきます。





2013年7月24日水曜日

1905年の防護巡洋艦「笠置」の姿

 軍艦というものは、必要に応じて改装されて姿が変わっていきますが、「笠置」もいろいろな改装を受けて姿が変わって行きました。

JACAR(アジア歴史資料センター)でざっと検索してみますと、竣工(1898年、明治31年)してから日本海海戦(1905年、明治38年)までに以下のような変更を受けたようです。

・ディンギーを通船(第三通船)に交換(明治30年に申請、明治33年5月28日に取り換え完了*1)
 竣工時に右舷に搭載されていたディンギーは小さすぎたためか、用途がなかったようです。
 
ディンギーの一例*2


・12センチ砲の砲楯の改造(明治37年1月5日、稟申の資料あり)*3


・12センチ側砲のスポンソン改造
 (石炭船を横付けする際に12センチ砲を目一杯後方に向けようとすると、スポンソンの壁に砲盾が当たってしまい、望む角度まで砲を旋回できませんでした。これでは砲身が石炭船に当たって破損する恐れがあり、砲を取り外すこともありました。これでは不便なので、スポンソンを切り広げて、横付けした船に当たらないようになるまで、砲を後方に旋回できるようにしました)
改造後のスポンソン。矢印が拡張された部分。

ただし、1905年の初めまでに両舷のスポンソンを改装したのか、片舷だけを改装したのか判断に迷う資料があります


・後部の8インチ砲の装填用の張り出しを新設。
 (後部甲板の幅が狭いため、8インチ砲を真横から前方に向けた場合は、砲の後ろで装填を行う余地がありませんでした。このため、一発撃つたびに砲を中央よりに戻して、装填した後に砲を向け直す必要がありました。この不便を解消するために、両舷に張りだしを設けて砲が真横から前方を向いた状態でも装填できる場所を設けました)
笠置(撮影時期は不明)

上の画像の艦尾部分。矢印の先に張りだしが設けられて、舷側に影を落としています。



・補助ボイラー(恐らく後部煙突の根元の直前にあるもの)と付属具を陸揚げ
 (力量が不足して用途がなかったため)*4


・臨戦準備として、ボイラー室に通じる通風筒の雁首を陸揚げし、代わりに鉄棒を骨にして、帆布を使って仮製した風入口を取り付け。*4

☆ ☆ ☆
以上の変更の他に、ヤードの位置変更、前後のファイティング・トップの取り外し、それにともなう軽砲の位置変更などが 1905年(明治38年)の日本海海戦以前に行われています(細かい改装はもっとあると思います)。

他に日本海海戦直前に姿が変わった部分がありますが、それについては記事を改めます。

ーーーーー
*1:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10126999000、明治33年 公文雑輯 巻5 艦船2止(防衛省防衛研究所)」#25コマ目

*2:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06090982700、明治26年 公文備考 艦船下巻4(防衛省防衛研究所)」8コマ目より

*3:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091547000、明治37年 公文備考 巻10兵器1(防衛省防衛研究所)」 29コマ目

*4:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09020083400、明治37~38年 戦時書類 巻46 艦船修理1(防衛省防衛研究所)」 


2013年5月3日金曜日

防護巡洋艦「笠置」と「千歳」の調査記録(1)図面と長さの疑問

旧日本海軍の防護巡洋艦「笠置」とその姉妹艦「千歳」について調べたことのまとめです。

図面等の資料の所在

「笠置」について
 ・大和ミュージアムの収蔵資料
 造船所による初期の図面およびボイラー入替後の図面など、いくつかの時期の平面図、舷外側面図、船内側面図、線図等があり、資料室での閲覧や複写の申請が可能です。

 ・「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091471400、明治36年 公文備考 巻14艦船3(防衛省防衛研究所)」
 明治36年の坐礁事故の損害を示す資料として、船体の見取り図があります。船体の外板のつなぎ目が描かれていますので、フルハルの模型を作りたい方の参考になると思います。

 ・「平賀 譲デジタルアーカイブ」( http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/hiraga/ 
 中央横断面図が収録されています。検索する場合は、検索条件の「標題」の欄に「 笠置 」を入力するとよいです。(2013年5月7日追加)


「千歳」について
 「平賀 譲デジタルアーカイブ」( http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/hiraga/ 
 二等巡洋艦側面図、中央横断面図、軍艦上面図などの表題で収録されています。検索する場合は、検索条件の「カード目録」の欄に「 千歳 」を入力するとよいです。一部の図面では艦名を示した部分が切り取られていますが、その図面の上部中央に“SECOND CLASS UNARMORED PROTECTED CURUISER IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT”, "UNION IRON WORKS, SAN FRANCISCO" 等の文字がありますので「千歳」だとわかります。


長さの疑問:「笠置」と「千歳」の長さは? そしてどちらが長い?
 wikiの他にいくつかの記事を読んで「長さ」の数値に疑問を感じました。下の例のように、垂線間長では「千歳」の方が長いのに、全長では逆に「笠置」の方が長いという数値の組み合わせとなっていたからです。

--(ネットで見かけた笠置と千歳の長さの一例)---
 笠置 垂線間長 114.1m ; 全長 121.47m ?
 千歳 垂線間長 114.9m ; 全長 120.4m ?
---

他に「千歳」の全長が「笠置」より短いということを書いているブログもありました。そこでは図面を調査した結果として「千歳」のどの部分が短いのかまで明記してありました。しかし、本当にその通りでしょうか?

 手元の資料を調べてみると資料によって数値がバラバラでした(*0)。資料の信頼性と、図面での比較の結果からは、以下の値が妥当と考えます。

 垂線間長
  笠置 374フィート = 114.00 メートル(*1)、もしくは 374フィート6インチ = 114.15 メートル(*2)
  (2013/10/21 追記。設計時の線図では「374フィート6インチ」でした)
  千歳 377フィート1インチ = 114.94 メートル(*2)

 全長
  笠置 401フィート10インチ = 122.48 メートル(*3)
  2013年12月4日追記:設計時の線図でも 401フィート10インチでした。
  千歳 405フィート = 123.44 メートル(*4)、もしくは405フィート2インチ = 123.50 メートル(*5,6)。

 水線長
  笠置 約393フィート = 約119.8メートル (*7)
  千歳 396フィート = 120.70 メートル(*6)

上の理由
 もし「千歳」が垂線間長では「笠置」より長く、逆に全長では短いと仮定すると、垂線間長と全長の差分である「千歳」の衝角や艦尾(舵の軸より後方)の部分は「笠置」のその部分よりも目立って(上述の例なら合計で約1.9メートル)短いはずです。しかし、図面の上では両方の艦の衝角や艦尾の形状・大きさは似通っていて、「千歳」の衝角や艦尾が「笠置」のそれよりも短いようには全く見えません。

「千歳」の場合、垂線間長=114.94m, 全長=約123.50m の組み合わせならば、下の図のように図面の船体の輪郭に合致しますが、全長=120.4m と仮定すると、艦尾をかなり切り詰める形(点線部分)となり、図面とはかけ離れた姿になってしまいます。
【「千歳」の長さの「数値」を図面上で比較した様子】

 同様に、「笠置」の場合も垂線間長=114.00 or 114.15mに対して全長=122.48m であれば図面に合致しますが、全長=121.47m と仮定すると、図面上では艦尾を1フレーム・スペースくらい切り詰めた形になってしまい、図面に合いません。

 このように、図面上で矛盾しない垂線間長と全長の組み合わせを探すと上記のようになりました。「笠置」の垂線間長や「千歳」の全長として2つの数値を並記しているのは、図面の折れや撮影による歪みのために2つの数値の差を明確に識別できないためです(精密に判断するためには図面の折れや歪みを補正する必要がありますが、私の手元にある資料では無理です)。

結論として以下のことが言えます。
 ・「笠置」の全長は122.48 メートルで、ネットで見かける値(121.47メートル)よりも約1メートル長かった。
 ・「千歳」の全長は123.44 メートル(または123.50メートル)で、笠置」よりも約1メートル長かった。

※2013年5月22日追記;
 なお、千歳が笠置より長いのは船体の胴というか中央の部分です。艦首の衝角部分(水中での突き出し)や艦尾部分(艦底がベースラインから立ち上がる部分より後)の長さは両方の艦ともほぼ同じです(図面を比べてみれば明らかなことですが)。

☆ ☆ ☆
 ネットにある「笠置の全長=121.47m」がなぜそうなったかは判りません。
また、ネット上の「千歳の全長=120.4m」については、下の *8 で示すように、ミスタイプに加えて水線長の値を全長と勘違いした可能性があります。

 他にも、なぜその数値になっているのか理解できない資料もありました。模型を製作する方なら図面も調査しますからこうした数値の矛盾に気づくと思いますが、そうではない方にとってはさして重要でない数字なのか、いろいろな情報が広まるものですね。

「笠置」には興味深いエピソードがありましたので、次回以降の記事でまとめたいと思います。

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*0 wiki、「日本海軍全艦艇史」、「日本軍艦史」、「世界の艦船」なども調べましたが、ここでは割愛しています。

*1  The New York Times , July 10,1898, "KASAGI FASTEST OF  HER CLASS." (Length , 374 feetとしか書かれていませんが、垂線間長のことと解釈しました)

*2  軍艦機関計画一班。資料の信頼性としてはこれが第一かと思います。

*3 通俗教育・海軍写真帖
【笠置の諸元。全長が401フィート10インチ

*4 通俗教育・海軍写真帖
【千歳の諸元。全長が405フィート。笠置より長い。

*5 Overland Monthly , An Illustrated Magazine of the West Volume XL., July - December 1902
【Overland Monthly。この資料では千歳の全長は405フィート2インチ

*6 THE RECORD UNION(新聞) 17,662号、1898年1月23日発行より。"Length over all, 405 feet 2 inches; length, load water line, 396 feet "

*7 図面から推定

*8 ある絵葉書(笠置の絵になぜか"CHITOSE" と注釈がついたもの)の表記では "Length, 395 feet"となっています。(例えば、下記のリンク先(絵葉書販売サイト)で絵葉書の [BACK] をクリックして拡大してみてください)

http://www.cardcow.com/398416/japanese-cruiser-chitose-transportation-boats-ships/

憶測ですが、この 395 という数字は *6 の「千歳」の length, load water line, 396 feet のミスタイプかもしれません。そして 395フィート(120.4 メートル)が全長と誤解されていくつかのサイトに掲載されたのではないでしょうか?

軍艦金剛廻航記念帖

この写真帖は「金剛」の日本への廻航を記録した写真帖です。 

大正2年2月に回航要員が日本を出発し、4月にイギリスに到着、「金剛」を領収した後、8月に日本向けて出発、11月に日本に到着しました。
 ロンドン到着後に田中副長が病死したり、その後正木副長が事故で重傷を負ったりするという困難もありました。